差別意識でさえも正しく使うことが大事なのでは

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差別意識ってある程度必要だなと思った

 

 

差別って言っても

人を貶めたりいじめたり、権利を奪うっていうのは論外でそういうことではなく

 

 

自分とは違う人がいて、そういう人と自分を必ずしも融合させる必要はないということ

自分と住む世界の違う人がいるという事はこの世界の事実でもある

 

どんな人でも受け入れるなんてのは個人には無理な話で

 

自分と違う価値観、波長の人とは線を引いて自分のエリアに入れないというのもこの世界で生きていくには大事だなと思った

 

 

そうしないと、誰しも受け入れてしまって自分がボロボロになる

人の個性が逆に死ぬ

その人自身を活かせなくなり、その人らしさを失う

レベルを下げて人生の質を下げる

 

 

人と違う事

見えている人より恵まれている事、それが社会の仕組みの結果ならもちろん社会を正すべきだけど

 

それが生まれもったもの、努力して手に入れたもの、人そのものの魂の質というか、人の価値観や考えでは抗えない領域の事もあって

 

その恵みに罪悪感を感じてそうじゃない人に合わせたり、恵みを受けていないフリをしたり、それに気づこうともしないのは、この世界を舐めている

 

自分をおごり過ぎている

 

 

自分の力ではない、それは与えられたもので、君のものではない

宇宙のものでみんなのもの

 

それを自分のものだと思って謙遜したり、持っていないと思ったり、無視して力のないフリをするなんて

とても傲慢でおごっているなと思った

自分の力だとでも思っているのかと

 

反省

 

 

でもこういう風に、この世にあるものでひたすらに悪いイメージのついているものでさえも、本当の悪なんてなくて、捉え方で使い方なんだな

総意が悪判定であっても、存在価値のないものならこの世に生まれていなくて、それが人を助ける面をあるという事を実感したし

ただただ、それを上手く使えてなかっただけだという事も知った

 

めぐれん

めぐれん

1990生まれ