大人になって人魚姫の物語の本当の意味がわかった

大人になるとは、何かを諦めることとも言える
若い時、幼い時は、自分にないものを欲しがる
ウルトラマンになりたがり、プリキュアになりたがり、アイドルやモデルのような容姿になりたがり、アーティストのような才能を欲しがる。
そして、欲しいものが自分と遠ければ遠いほど、落ち込み自信をなくし、さらに欲しがる。
諦めるというのは、自分にないものに気がつくということだ。
ウルトラマンやプリキュアのような特殊能力も便利な変身力も自分には備わっていないと気がつくのは簡単だ。
それは、見渡すかぎり誰も持っていないから。
ウルトラマンはテレビの世界、物語の世界だけのもので、自分にはない力だと諦めることができる。
でも、芸能人の容姿は現実だ、実際に持っている人がいる。
アーティストも実在する。
テレビに出ていなくても、身近な人で話が面白い人、勉強ができる人、モテる人、スポーツができる人。
いろんな才能を身近で感じる。
実際に持っている人の存在を知ってしまうと、自分にその才能がないと諦めることは難しい。
でも、難しいだけで大人になるとできるようになる。
自分にないものに気がつき諦めることができる。
この時の諦めは挫折でも絶望でもない。
赤が赤であるように、魚が魚であるように、人が人であるように、ただ事実を認めるだけだ。
そして自分が持っているものに気がつくことができる。
魚に足はない。人は水中では息ができない。ただそれを認めるだけのことである。
諦めるというのは、認めると言い換えることができる。
諦め、認めると自分が持っているものに気がつく。
人魚は足がないのではなく、ヒレがあった。
でも足を持つ人間を知り足を欲しがった。
足を手にいれた代わりに、声を失い、歩くたびに刺されたように痛みを感じ、望みも叶えられず、最後には泡になってしまう。
自分にないものを欲しがるということは、持っているものをなくし痛みを伴うことだ。
この人魚も足を諦めていたら、人魚の世界で幸せに生きられたはず。
自分の持っているものに気がついていない人が多いあまりに、諦める大人と聞くとネガティブな印象を覚えるが、諦めるとは本来、自分にないものを認め、あるものを生かすために必要なことだ。
大人になると諦めることができるというのは、そういうことだ。
だから、諦め、大人になるというのはとても素敵なことだ。